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君子は豹変する

徳の高い立派な人物は、過ちに気づけば即座にそれを改め正しい道に戻るはずである。
また、人間は誰でも過ちを犯すものだが、自分が間違っている事に気付いたらすぐに正しい道に戻らなければいけない。それを改めない者が本物の堕ろか者である。
〝過ちて改めざる、是を過ちと謂う〟

キリスト教の教え・・・ハルマゲドン(悪の勢力を絶滅させる神の審判)の前に必ず地球上全ての人々に最低でも一回は神の警告を伝えられる。という事が書いてあるそうです。家に来た宣教師の人が言ってました。
 
御聖言・・・《「神の業火」と申せしもの、「ゲヘナの火」と唱えし火に投げ入らるる寸前のものも、神縁にて汝の許に一応行かしめん。一応ついて参るものも愛心にておぬし裁く心起こさず、次々と導きて行くべし。如何にしても、つきて来たらざる様ならば、哀れと思いても深追いは致べからず。後にてサトラさるるならん。オガム、オガミの世は終わるなり。オロガミの世なり。
※オロガミとはミと書き、神仕組みと仕組みの元神に謙虚になり、頭を下げ、さとり、崇めることをいう。

ようするに、罪の多い地獄行きのきわどい人であっても神の警告をス直に聞いて改心し、熱心に真光の救いの行に励めば、その魂を永遠の地獄に落とすようなことはしないということです。救え然らば救われんです。


ちなみに、なぜ地獄に堕ちた魂は永遠に出られないのか?と言う疑問にお答えします。

人間(魂)一人一人には、魂の記録帳があの世に保管されてあります。
どんな感じかと言えば、辞書ぐらいの厚めのノートです。emoji

そこには過去世の善い行い悪い行いやその他の様々な魂の情報が記録されています。
つまり大昔から今現在までの再生転生してきた全ての情報が記録されていきます。

一ヶ月くらい前に夢で見せられたのは、その分厚い記録帳を焼却処分する場面を見せられました。emoji焼却炉にはTSUTAYAの返却口より少し大きいぐらいの投入口が開いていて、そこに三冊ぐらい投入している場面を見せられました。
一度燃やされたものはもう元には戻せません。
その夢を見せられた時の感想は
恐ろしい・・・』でした。しかも全身全霊で恐怖を感じました。
  
 

もしあなたが神の経綸の大仕組みの邪魔をするならば、あなたの魂の記録帳は焼却炉に投げ入れられ死後永遠に炎の中で苦しみ続けなければならないのです。
もちろん今現在もあなたの行動全て見られてます。emoji
すぐに素直に応じて神向きに切り換えればいずれ貴方にも運命の霊止が現れ幸せな未来がやってくるかもしれませんよ。

つまり100%僕の運命の霊止であるよう子ちゃんを今すぐ開放してあげてくださいねっていうことです。


天照大御神の言い伝え
高天原と呼ばれる天上世界を統治する女の神様。

太陽の神様である天照大御神が天岩戸と呼ばれる洞窟に身を隠していると世の中は陽の光を失い、闇に包まれ秩序が乱れ世界中で災いが起こった。
そこで神々は集まり、天岩戸の前で踊り騒ぎ、大笑いした。天照大御神は自分がいない世の中でなぜ笑いが起きるのか感心を持って天岩戸から出てきた。そうすると世の中に陽の光が戻り明るい世の中になったという。

世界に平和をもたらすには一刻も早く正法神向をひろめなければいけない。多くの人達に《み救い》を伝えることが出来るようになれば、多くの人々の魂が救われるのです。


よう子ちゃんへ
『今朝方はどうもemojiemoji(多分) 手紙まだ持ってるかな?そこにOO書いてたけど、もし理由あって捨てちゃってたら早めに携帯繋がるようにしとくね。なにしろ今金欠でさ・・・emoji記事見てくれた後で時間ある時にメッセージくれたらありがたいよ。』

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神示・・四つアの世と七つの燈台の火②


かく成りては、神にも手順あり。アバキ、アガナヒ、アガキの世を通って、アカナヒの世(明かな霊、明かな陽《日》の世)と致す外なし。「四つアの世」参ると申すなり。四つアの世は又七つアの世なり。七つのみ使いも強く働き出すなり。七つの燈台に火がつく世になるなり。汝にラッパ吹かす役せしむるなり。「アフンの世」はさけさせやりたきもの。

宗教宗教と申すも、神主、実は、神盗と相成り、喰いおるもの多く、坊主丸儲けとなって芒主となり、宣教師は何もセン教師と相成るもの多くなりて、主を死なしめ万宗教は、神より見れば大方が山なき宗教、中には醜教の世とさえ化したるなり。

科学は神学を見失わせたる仮学、化け学のみに致し終わりたり。

一切勝手と、人間丈の御都合にて、神の創りしものメチャメチャに致し参るのみならずや。神の都合考えしことありや。こを偽りの世、偽の世と申すなり。

故に神は本物の世に大立て換え致さざるを得ざる時参るも無理なからん。人間気付きお詫びする心にならざれば、神、霊と火の大洗礼期に這入る外なくなるを以て、人間、罪業詫ぶる心出てざる限り。如何に平和平和と申すも、共存共存と申すも、原爆いやいやと思いても、現界も火玉造りは、止らぬよう相成るべし。

ホドケの仏も、上座、神座に還り、観音もずきん取る故、神智の光頂きて、源の霊魂浄めて、明かなと致さざる限り、くどく申すなり。人知丈にて思えば思う程人力丈に成るを以て、多くはアガナヒの人生や世となるなり。

特別の大み役もたしめて神選びされて此の世に出されしものの外は、その犯せしその家としての包み気枯れ残し持つ丈、苦労や災厄に明け暮れ、アガナヒつづきが人生と相成り、天国人生、極楽の国土が訪れること、普通は当分の世一切夢と化するようキビシクなるなり。

此度の如く、大神やり出さば、人間のやること見当皆違い来たる故、「狂いの世」と化して参るのみなり。泥沼の世造らば抜き差しならぬなり。魂霊明かな世とする為、明かな魂霊住み得る如くアカナ地の上に戻さざれば住み得ざるべし。地の上、火にて一度焼き払うことも致す外なくならん。神火玉(弾)造りさせて、アチコチ火噴くかん。

真暗の世にいつまでもしておくわけには参らざるなり。
暁、世に迎えしむべし。闇の世、陽の世に致すには、太陽出すより仕方なからん。神の霊の界に陽火魂神出す(出演)より外なきことも判るならん。霊の界、火、日、陽出づる故、暗きを好む邪の魂霊は、段々にアガキきつくならん。従って、いよよ地はゴタゴタ、メチャメチャの事次々起こるようになりて危なし危なし。上も下も、親子も友達同士も、わけわからぬよう相成り、打つ手なくならん。

神頼みする世迎えしむる外、気付かしむる法なくなり。行き詰まらせざれば判らざるオロカ者の世こそ今世なれと申すなり。神、下ろしにオロして、オロガミ致さぬ故、オロオロ致す世と、人間ども致すを以て、オロカとも申さしむるなり。神を降ろして神の子人を人間に致し、値打ちは下げておきながら、神の上に我を出して、まだ足らざるが如く、四足人間に致して、オロオロに降ろして、己で己等を、生き地獄の世へ落として行くなり。オロシ器にかかる大根に等し。

上捨つれば、己を下ろして下剋の道よと上をヒックリ返して下と書かしめあるにあらずや。脳なし魂無くして首だけ乗せて道よ道よと威張って走らんと思う故、立って歩くことも出来ざる如くなるなり。(四足獣人)

人間我のしくじりなり。火捨つれば夜道はあぶなき定めなり。火のせて走らず(霊主霊智に生きること)、米のせ申して走ろう走ろうは(食うこと丈、唯物観のこと)、迷いの元なり。マヨイ(真宵)なり。真暗の夜は、異のイを起こす故マヨイマヨウ(ウ・生む)なり。迷いの道は、霊智(正法神向)知らせ申して、元路へ引きもどすなり。ナホスなり。スに直くなれよ。マ光かかぶれるよう相成る故、明かな霊となる易々たり。

神道も仏教も基教も、主神拝みし釈迦、イエスの生きあり時の教えに万教者も世人も還りて、マ光放ち得る使徒と化すさざるべからず。神裁きの世、仏滅の世参る丈なり。狂者揃いの世となる丈にて救いは中々のこととなるべし。人間不在に非ずして人間不要の世となるを以てなり。出づべし。出さざるを得ざる如く致す故、神出すべし。

何時迄、アエギ行かんとはする。もう目を覚ますべし。覚むるべし。夜明けなり。何時迄も夜の教えにしがみつきありても滅しか待ちあらず。神界も、大仏界も、元の光の世に還るなり。その夜明けなり。滅を免れ乗り越ゆる方便は一つしかあらず。光玉に宣らせし「霊文明の世への暁」への実践行と、「人間神性化」の外、人の乗り行く霊智なくなるなり。

御聖言「四つアの世と七つの燈台の火」より  (後半文)



→(参照2013.7.23)

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神示・・四つアの世と七つの燈台の火①


毒気消除の世は、此度の神のやり始むること故、神力曇らせし人間のみの「我力」にては、いかんともなし得ざる現事、起こりて止まざる世参らするなり。このこと早く気付かしめ、上の方見定め、御恩一パイに気付かば、先ず深々とお詫びせしむべし。お詫びする心とならば、何か神のみ役に立つよう、マ心にて考え出し、一心に行ぜしむべし。神への愛なり。合いなり。世人かくならしむべし。さらば鳴り合わん。サトリお詫びの証立て申すべし。

下手致さば一切空となるを以て、形のみの空のお詫びや、空のお世辞や空笛太鼓や空念仏のオダテには神はもう乗らざるキツイ世と変わるなり。政事するものも、神主も、坊主も、宣教の師とか申すものも、信心ものと自惚れおるものも、大方は神盗人の実績者と変わるを以て大変なる世となりしなり。化けの皮はがれ行くか、世の仇と化して何れは滅なり。物滅仏滅の世へなり。此度の神は、マコト大愛の神なるを以て立て別けはキツキなり。甘くて辛きなり。

神の子より人へ、人より人間落ち致し(人間とは、人になる迄に間のあるひとびとの事)霊止より中実抜け出さば人ではなく身体なり。人は既に殻なり。もみ殻なり。「モミクチャの世」しか出来ざるなり。「モミガラの世」は、祓戸の神の怒りの風に、いつにても吹き飛ぶなり。いかに居丈高に致してみても、空威張りとなる世となるなり。汝等人間のことカラダと申し居るにあらずや。空では人間終わりなり。

本来神の子が実なり。身なり。本来神来体なり。神より授かりし分けみ魂宿せる神宝より神魂抜けなば「人間我」のみ強くなり、神の大仕組みの中に生かされあることすら忘れ、見当すらつき申さぬ様に相なり、神忘るる故神の子勝手に遠く神より離れ離れ、生命損ない善悪立て別けも、元も判らず相成り、人間の都合勝手に考え、神の霊智判らぬよう相成り、道に迷いて人類崖より落つべし。禾を斧にて切る故「我」丸出しとなり、悉く慢心致し、ガアガアガミガミ、ホザキ噛みつき合いて、ゴタゴタゴミゴミ、神より切らるる世に致してしまうべし。

学文、学問と自惚れ致して鼻高々の天狗ウヨウヨさすのみにて、「ヨイヨイの世」来るとも知れず、善い善いと酔いしれしのみにて、マコトは「我苦悶の世」と致し「学理ガックリの世」招く他なし。己にて己等を裁き合いて苦しみて「手のつけようない世」に致し参る丈なり。未だ気付かんともいたさぬが人間の我なり。

天狗の鼻は出過ぎある故、いずれヘシ折らるるなり。ヘシ折らるるまで、金と時と身をアクセク悪焦く生き申す丈が人間界と相成るにあらずや。人間を創りし神も悲しきなり。

「手のつけようもなき世」へ進め参らせ行くは小天狗一杯なればなり。小天狗飛び交う世は、人間界を「行き詰まらせ申す」なり。神の戒めの方の光も強くなるを以て一段と哀れなり。神も止むなく。人知丈の「我」丈の人間界となりては、あらゆる面にて人間に一応「行き詰まらせ」て見する他無くなりし故、真と偽、美と醜、正と邪、浄と濁、善と悪などなど立て別けキツク致す外なきを以て、「アバキの世」起こりてアバクなり。穢なくなりし故如何に手を打つとも物や金や肉身などによるアガナヒ(贖ひ、償ひ)せしめざれば明かな霊の世来たらざるを以て、人知丈、人力丈にてやればやる程、頭打ちの現象多くなり、人間界次から次へと「アガナヒ」きつくなるのみなり。
 
人間界近頃邪霊に操られあるもの余りに多きを以て、神の光強く致し参る故、アガナヒ大きく幅広くなり、神・幽・現三界の諸魂苦しくなり「アガキの世」起こらん。依って現世は、無茶苦茶、無軌道の世果てしなく多くなりて、又その為二重三重苦しみの上塗り致しては、人間苦しまん。これを自業自得とや申さしむるなり。これも大ミソギ始まりたれば止むなきことなり。ミソガざれば判らず。自らここを覚りて己よりアガナヒせんと致さぬ限り、神の霊火にてアガナヒせしめずは、ハラヒにならざる故、いつ迄待つもアカナ陽の世招き得ざるを以て、神の仕組みの大一節、地の上十把ひとからげの大アガナヒも訪れさす外なからん。

マコト、四つアの世招くは、人間の勝手からなり。人間時代より人の世に還る外なし。神の子に己等自らの力にて還す精進する外なき時が来たりあるなり。その精進が又お詫びの証ともなるなり。三毒五濁のハラヒになるなり。

アガナヒの世きつくなるを以て、何もかもアカンようになり来たり、アバカレの世、アガキの世来たる故、アカム(天神)出て申し、アフンの世と致す外なき天の時来たりて、人知使いくたびれ申し、行き詰まり、上も下も「どう致してよいか判らぬ世」になり来たらん。天の気も狂い出さん。神アイソウつかすが、神、大ろかの愛故、カアイソウ故、何れ神の火、日、陽の光にて、マナコ開かせやりて、魂透き通らせ、神開一祖神のお出ましの世へ切り換うるを以て、大変な世とならん。その一時前にはラルロの嵐吹くも止むなし。少しも寒くないわ』。即ち人間界に大峠来るなり。故に神裁き物滅の世、ミロク下生、メシア降臨の世が参ると申し聞かせおきたるなり。
                                                                                                              
御聖言「四つアの世と七つの燈台の火」より (前半文)

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